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世の中にはいろんな人がいる。そしていろんな環境の中にいる。すべての人が同じ瞬間に、拳銃やナイフを突きつけられていたり、笑っていたり、寝ていたり、泣いたり、病気になったりしている。世界で何が起ころうと何も考えずに能天気に暮らしている人、常に何かに警戒して暮らしている人、いろんな人が暮らしている。そして、ここにはここの時間がある。

登場人物:尉火焚 渡(ジョービタキ ワタル)ジョーちゃん、 野川 繁(ノガワ シゲル)野川マスター、百舌 敏(モズ サトシ)ビンちゃん、目白 貴久(メジロ キク)キクさん

いつもの居酒屋 野川。もう大分時間がたっている。午後九時を過ぎて、客は少なくなっている。みなさん酔いの中をさまよっている。毎日来る人、たまに来る人、決まった曜日に来る人。様々な事情はあるけど、ここでお酒を飲むということは共通している。尉火焚と百舌は、どちらが早く来るかで、窓際の席を奪い合う。それほど大げさな事ではないが、いつもの席がやはり居心地がいいものだ。今日は尉火焚が窓際だ。暗くなっている窓の方に背を向けて、百舌と笑いながら話している。今日も面白い話に花が咲いている。

尉火焚 「昔は、がき大将がいて、仕切ってたよね。他校との喧嘩になるとそいつが頼りだったよ。」

百舌 「そうだね。」「子供なのに、やくざのように縄張りがあってね。なんでうちらの校区に入って遊んでるんだ?なんてことから喧嘩になった。」

尉火焚 「悪口の言い合いもあったよ。郭公(カッコウ)小学校は”かっこ悪い”とか”卑怯者ぞろい”とか言ってね、梟(フクロウ)小学校の”おふくろさんはブスぞろい”とか”ふくろかついでこそどろだ”とかね。」「殴り込みもあったよね。」

百舌 「そうそう。やくざ顔負けのようなことやってたよ。」「なんでだろうね?」

尉火焚 「戦後の混乱からあっという間に街もきれいになって行ったけど、まだ人の心がすさんでたのを子供心はしっかりと感じてたんじゃないのかな?」

百舌 「うぐっんん、動物の本能がまだむき出しだったのかな?間氷期に入って温暖になると人が活発に活動し始めたよね。もうその頃から争いが目立つようになったんじゃないかな。15000年前頃から縄文時代でしょ?うぐっんん、少数の狩猟採取から少しづつ規模が大きくなると争いも多く規模も大きくなっていったらしいよ。紀元前3000年頃のエジプト文明にはもう大掛かりな戦争があったからね。」「稲を育てて蓄えができるようになる弥生時代には集落ごとの戦争が頻繁に起きたんだ。常に周囲から食料を奪いに侵入者が来ないか警戒しながら生活するようになる。アメリカの有名な生物学者は言ってるよ。”我々対彼ら”っていう意識がDNAに組み込まれているってね。」

尉火焚 「昔からの争いの記憶がDNAに刻まれているんだ。そうか。小さい時から、なんで戦争はなくならないのかって思ってたんだよ。人間の社会は進歩していると大人は言っているのに、戦争はなくならないから不思議だったんだ。科学技術がいくら進歩しても人間に自分たちと自分たち以外を区別して警戒して、恐怖を感じて、恐れるDNAがある限り、争いはなくならないんだ!オーマイガーーー!」

百舌 「子供の頃、おしっこの飛ばし合いやったよね?誰が一番遠くまで飛ばすか。とか泥を固めてかちんかちんにして陣地決めて投げ合って戦争ごっこしたよ。ははははは!」

尉火焚 「誰が一番大きいとかね?ははははは」

百舌 「いや、それはしてないかもね。」

尉火焚 「がくっ!そうか。そうだったか。」「でもよくあんな危ないことやったよね?」

百舌 「今ではもう考えられないよね。」

尉火焚 「ほんとほんと。ははははは。」もうこの2人の近くにはお客はいない。今日は遅くなった。いつになく尉火焚は酔っている。今日は目白が出勤の日だ。仕事を終える前の皿洗いをしている。

百舌 「でも、年取ったら昔みたいに元気に飛ばなくなったなぁ!ははははは。」

尉火焚 「もうちょろちょろだよ。」急に小さな声で「それに・・・あれもちょろちょろだよ。」

百舌 「えっ?何?あれがちょろちょろ?」

尉火焚 「おいおい、そんなに何度も・・・」小さな声でしゃべろ!と催促するように。

百舌 「何言ってるの?あれがタン塩?じゃなくて短小ってこと?」小声で言った。「何言ってるの?小さいってことか!ははははは!」笑い転げる百舌。

尉火焚 「ビンちゃん、俺ね、あの本読んでから、これはあのせいじゃないかと思うようになってね。だって男性の精子の数も減ってると書かれてるし。・・・」深刻そうに言う尉火焚。

百舌 「あのせいって・・・環境ホルモンの事?」

尉火焚 「うん!なんか・・・女になってもいいか!みたいな感じ?」「ぎゃはははは!」今度は、急にはしゃいで。「胸もふくよかで触ると気持ちいいのよね。くっくっくっ。」

百舌 「ジョーちゃん、それって、ただ単にタン塩?(短小)・・・ははは、だってことじゃないの?年取ったからじゃないの?」「うぐっんん、でも精子は確かに減ってるんだよね。テレビでやってた。欧米の調査では、40年間で半減してるってさ。日本はそれ以上だと言ってた。精子の量が多い人でも動いてない弱い精子ばかりとか、DNAが傷ついてる割合が多いなんてことになると、ただでさえ人口が減少してるのに、益々事態は深刻化するよ。流産だって、原因の半分は精子のせいだってさ。

尉火焚 「やっぱりそうなんだ。でもそれ大変な事じゃん。思ってたよりすごいね。」

百舌 「原因はね、運動不足に座りすぎ。飽和脂肪酸にストレス、睡眠不足。これに当てはまる人多いんじゃないの?体が酸化するのがよくないらしいよ。男が座るとね、精巣の血管が圧迫されて血流が悪くなって活性酸素がたまるらしいよ。温度も上がって精子がダメージ受けるってさ。」

尉火焚 「あらまぁ、淡谷びっくりだわよ。」淡谷のり子の物まねが始まった。相当酔ってる証拠だ。

百舌 「でもね。生活習慣を改めると、改善するらしいよ。大事なところを圧迫する時間を短くして、オメガ3などの魚の油やビタミンCを摂取して酸化を防ぐ。夜更かししない。ぐっすりと寝る。ジョーちゃん、飲みすぎもタバコも良くないよ。」

尉火焚 「あらまぁ。ビンちゃん、ちょっとマジなんだけどね・・・本で読んだ世界中の生物の異変で、有機塩素系農薬が原因でワニのあれの矮小化が問題になってたでしょ。メダカは性転換しているとか。だから人間でもあるんじゃないかと・・・。俺第1号?なんて考えたりして。でも哺乳動物に関してはまだ報告ないか・・・?」

百舌 「有名な話では、農薬工場だったよね。殺虫剤のDDTを含んだ薬品が大量に流出して、ワニの数が激減したんだよ。そうそう、フロリダのアポプカ湖だよ。多くの卵はふ化もせず、ふ化しても大部分はメス。オスのあれは正常の1/4しかないんだ。しかも卵巣を持ってたりしてたそうだ。血液中の男性ホルモンの濃度が極端に小さかったそうだよ。でもそれ以外の事例では因果関係がはっきりしないことばかりで、最初は日本も67種類の物質を影響ある物質として指定していたけど、結局、国は取り消しているよ。ネットから削除してる。とにかく地球規模に拡散してるから何が原因かつきとめるのは至難の業なんだ。この精子の減少の話も、合成化学物質がからんでるとしても、因果関係が明確でないことはメディアも軽はずみに言えないからね。」

尉火焚 「はあ・・・それで今はみんなそんなに気にしてないんだね。」もう2人とも酔っているから、話があっちいったりこっちいったりしている。「なんかおかしんだよね。性同一性障害という問題はもう一般的になったよね。性の違いがあいまいになっているということか。」「男だけど女みたいとか、女だけど男みたいとか、最近どっちも興味ないみたいな人もいるってテレビで言ってたよ。これだけ女っぽい男が増えると、それをあっさり認めようとする人が一気に増えてる。」

百舌 「一定の条件を満たせば、家庭裁判所で性別変更の審判で、戸籍上の性別が変更できて新しい性別で結婚できるよね。すごい時代になってるね。」

尉火焚 「何だっけ。内分泌かく乱・・・化学物質か?これが本来体の中にあるホルモンと化学式が似ているから、いろいろと悪さするんだよね?」

百舌 「本当に重要な働きをするから、細胞に受容体というものがあって、それと結合する資格のあるホルモンだけを通す仕組みになっているのに、女性ホルモンの真似して通行するやつがいる。ノニルフェノールやビスフェノールAが有名。逆に本物の通行を邪魔するやつ。ホルモンを分泌するところですでに、分泌を邪魔したり必要以上に分泌させるやつ。受容体を襲ってつぶしたり、偽の受容体を作ったりするやつ。それで、間違った情報が偽物によって伝えれたり、正しい情報が伝えられなかったり、その情報の量も大量になったり、少量になったり、情報自体なくなったり、体の色んな細胞・DNAが混乱する。体のバランスが滅茶苦茶になるんだよ。」

尉火焚 「いやだねぇ。全然工場とかない所でも汚染されるんでしょ?」

百舌 「化学物質は水蒸気になって流れる。潮の流れに乗って移動する。生物の体内に入って遠くまで移動する。化学物質が薄まることはないよ。生物の食物連鎖の度に濃縮される。カナダ北部の島(ブルートン)の住民は、汚染とは無縁だと誰もが思うだろうけど、カナダ保健局がPCBに汚染されていることを以前に明らかにしたことがある。魚やアザラシ、野生動物を食べてる人たちだ。汚染物質がたまりやすい地域なんだろうね。」

尉火焚 「ビンちゃんはもうあの本読んでるの。」

百舌 「もうとっくに読んでるよ。」もう尉火焚の重大な告白は、影が薄くなっている。尉火焚は複雑な心境だ。もっと驚いてほしかったし、心配してほしかった。でもその逆でもあった。そして今、少し違った方向に話が進んでいることを良しとしない自分もいた。

尉火焚 「ねぇねぇねぇ、性同一性障害の人で性転換手術する人がいるらしいけど、どうやんの?」野川マスターが急に出てきた。

野川マスター 「物心ついた時から、心は女の子なのに男の体をしているということだよね。自分の心は女の子として生まれたと思うのに、体が男じゃ、生きていくのが辛いよね。男の子と女の子の体が入れ違いになった・・・という映画あったよね。多少の興味はあっても、すぐにまた元に戻りたいと思うよね。それが普通だ。」「だから、心が女だから、女の体に戻りたいと思うんじゃないの?普通に考えればね。」

百舌 「うぐっんん、この間偶然、あの値段安いカット専門の理容室で雑誌読んだよ。客の回転が速すぎてすぐに順番が来て全部読めなかったけど。あのさぁ、性感帯の神経は残して利用するそうだよ。それであそこも作っちゃうそうだ。」

尉火焚・野川マスター 「えええ?作っちゃうの?」少し大きな声を出したようだ。

目白 「どうしたの?」お皿を洗いながら聞いてきた。「私にも聞かせて。」

尉火焚 「いえいえ何でもありません。女優の小雀(コガラ)さんが実は男だったらしいんです。」

目白 「それなら私も知ってるわよ。」・・・”しめしめ、あっ!そう言えば、胎児の最初の頃は男も女として成長してたんだ!”尉火焚は思い出していた。

野川マスターが小声で続ける。「でもあくまで、身体的な外見を備えるというある程度のストレス解消であって、根本的な解決は無理なんだろうね。何で心の性と同じ体が持てないのか?という辛さは消えないよね。女性として子供を産むことはできないしね。」

尉火焚 「男の心を持って、女の体をしているのも、同じだね。確かにつらいね。でも昔からこういう人がいたとしても、その数が増えているんじゃないの?」

野川マスター 「昔、そういう人の人数の統計取ってないから比べられないんじゃないの?」

尉火焚 「ちょっと待ってよ。ゲイは何だっけ?」もう尉火焚は告白の事はどうでもいいと思うことにした。「男が男の事好きだってことだよね?」「女性の同性愛者はレズビアン?」「ホモは同性愛者?」「待ってよ待ってよ・・・体が男で心も男で女が好きなのは?普通か?体が男で心も男で男が好きなのは・・・」

野川マスター 「ジョーちゃんいいところまでいったけど・・・。心と好きな対象の性が同じならば同性愛者だよ。日本ではゲイもホモも男性の心を持って男性が好きな人の事を言うね。でも厳密には同性愛者というんだ。最近日本では、ホモという言葉は使わなくなってるよ。昔から差別用語みたいに使ってきたかららしい。本来、異性愛はヘテロセクシュアル、同性愛はホモセクシュアル、両性愛はバイセクシュアル、無性愛はア・セクシュアルみたいね。体と心が同じでない場合は性同一性障害だよね。じゃぁ、体が男に生まれて心が女、好きな対象が女ならどうなる?」

尉火焚 「ふむふむ。性同一性障害のホモ?違う。性同一性障害のレズビアンだね。」

百舌 「男生まれの心も男、好きなのが男は、同性愛者だけど、日本では一般的にゲイと言われているということだね?じゃぁ、女生まれの心も女、好きなのが女は、一般的にレズビアンだね。」

野川マスター 「多分そうだと思うよ。私も専門家じゃないからね。心と体の性別に差がある人のことを最近はトランスジェンダーって呼んでるよ。」

尉火焚 「マスターは毎日、新聞を隅から隅まで読んでるんでしょうね。さすがだ・・・。胎児のときにアンドロゲンシャワーの浴び方が少ないとかあるのかな。」

野川マスター 「より男っぽいとか少しおとなしいとか、そういう影響はあるだろうけど、性同一性障害は、もっとホルモンの異常が関係してると、普通に考えれば、そう思うよね。」

百舌 「最近は、遺伝子への影響や神経細胞への影響が明らかにされてるからね。ますます怪しいよね。」「ジョーちゃんはちゃんと子供もできてるんでしょ?大丈夫だよ。」

野川マスター 「何のこと?」

尉火焚 「いやいやいや、なんでもないですよ。タン塩注文しようかな?」カウンターの下で尉火焚がビンちゃんをつつく。百舌が感慨深そうに最初の話題に戻ってしゃべりだした。「でも・・・、化学物質の疑いが晴れたわけじゃないからね。なんか熱しやすく冷めやすいね。我々は。いやいや、あのね、うぐっんん、我々は全体の動きに非常に敏感なんだ。意見の多い方についていく能力にたけてる。AかBかという時にBの意見だった人がAが優勢になる頃には、アッいう間にAの意見になってる。強い方についている方が安全なんだ。日本人は長い農耕の歴史の中で、個人の争いよりも集団の争いの中で、いかに多数の有利な方につくか、という判断で生き延びる術を身につけたと、思うけどなぁ?アッいう間に多数意見が強大になるよ・・・。」しばらくして、尉火焚が異様な大声を発した。「ぐわーーー!!!」みんなあっけにとられてポカンとして尉火焚を見ている。

尉火焚 「曖昧の美学だ!!!」目の玉をぎょろっとむいて、神のお告げのように言った。「曖昧の美学の正体はこれだったんだ!いつでもすぐにどっちかのグループに入れるからだ。」

野川マスター 「おおっ!ジョーちゃん!ようやくトンネルを抜け出たかな?」

百舌 「何?何?何のこと?」

尉火焚 「タン塩お願い。」

野川マスター 「な・い・よ!」低い声で言った。目白さんが片づけを終えたようだ。野川マスターが奥に戻る。野川さんが帰るようだ。「キクさん、ビシソワーズ飲んでく?」

目白 「まぁ!ありがとう。うれしいわ!じゃあお言葉に甘えて。」目白が尉火焚の横に座る。

尉火焚 「ビシソワーズって何?えっ?知らないよ。」

目白 「ジャガイモのポタージュよ。暑い夏には冷たいポタージュがおいしいわよ。マスターが作ってくれたものなら、おいしさ倍増よ。」野川マスターが冷蔵庫から取り出して目白の前に置く。「わー、冷やしてくれてたのね。いただきます。」

尉火焚 「あらまぁ!冷たいポタージュも熱くなるわよ。」

目白 「あれっ?それって淡谷のり子の物まね?似てるわね!ほほほ。」母親と息子のように何の遠慮もなくごく自然に会話する2人を見て、ニコニコしている野川マスター。百舌も柔和な表情をしている。みんな、ここの居心地がよさそうだ。信号機の色についてのテストをきっかけに尉火焚が小学校の時に過ごした空白の時間をこの居酒屋野川で埋めることができたようだ。しかし何ともいい雰囲気ではないか。これを平和と呼ばずして何と言うか。いつまでも続いてほしいものだ。

百舌 「ねえねえマスター!何のこと?」

第10話をもって一区切りとさせていただきます。今後の掲載については未定です。ありがとうございました。