Pocket

世の中にはいろんな人がいる。そしていろんな環境の中にいる。すべての人が同じ瞬間に、拳銃やナイフを突きつけられていたり、笑っていたり、寝ていたり、泣いたり、病気になったりしている。世界で何が起ころうと何も考えずに能天気に暮らしている人、常に何かに警戒して暮らしている人、いろんな人が暮らしている。そして、ここにはここの時間がある。
登場人物:尉火焚 渡(ジョービタキ ワタル)ジョーちゃん、 野川マスター(野川 繁ノガワ シゲル)、百舌 敏(モズ サトシ)ビンちゃん、目白 貴久(メジロ キク)キクさん、関 礼(セキ レイ)レイちゃん

「ただいまー」尉火焚が入ってきた。「お帰りぃー。」キクさんがTシャツ・ジーンズ姿で迎えている。
「はぁ???」尉火焚は信じられない光景を目の当たりにし、のれんをくぐったその場に立ちすくんだままだ。野川マスターが出てきた。「ジョーちゃん、新しいバイトさんです。よろしく。何して

るの?」

尉火焚 「いやぁ、バイトですか?レイちゃんが急に年取ったのかと思って。・・・」「ホントのホントの話?」

野川マスター 「本当だよ。早く入って!」

目白 「そんなに驚かなくてもいいじゃない。失礼しちゃうわ。」

尉火焚 「失礼しちゃうわ と言われても。・・・」「どうしてこうなっちゃったの?」

野川マスター 「まえに出身地が同じだということが分かってから、お盆に私もお墓参りに行くことにしたのよ。それなら、ということで一緒にお墓参りに行ったという訳です。」

目白 「それでね、電車の中でいろいろとお話してね。楽しかったわ。野川さんがね、お店手伝ってもらえないかって言うものだから、私びっくりしたけど、やってみようかなと思ったの。一人でいると何か気持ちもふさぎがちだし、体も動かさないし、人とお話もしないでしょ。ダメだなぁと思ってたから、思い切ってお手伝いすることにしたのよ。ふふふっ。」

野川マスター 「一緒の電車で行って帰っただけで、現地は別々だからね。」

尉火焚 「えええ?本当?」

目白 「ジョーちゃん、変な事考えないでね。」

尉火焚 「分かりました。そういうことにしておきましょう。」目白 「まあ!」

尉火焚 「キクさん、こうしてみると、カッコいいよ。20は若く見えるよ。似合ってる!!!」目白がすっかり変わっている。本来は、このように快活な人だったのかもしれない。”孤独は人間にとって最大の病原菌なのかもしれない。”と尉火焚は思った。窓の外のサルスベリが元気よく花をいっぱいつけている。尾長が言っていたレウコフィルムの花も尉火焚は見てきている。”華やかな花だ。キクさんも華やかになった。”と尉火焚に思わず笑みがこぼれた。百舌がやってくるのが見えた。思わず笑ってしまう。彼のおかげで随分自分が変わってきているように思う。百舌が入ってきて尉火焚と同じようにびっくりしている。隣に座った百舌に今聞いた経緯を説明した。笑いこけて聞いている。

百舌 「大事件だね。お盆の大事件だ。」「キンキンに冷えた白ワインお願い。ネギマ塩で5本。」「こっちも同じく。」2人は同じものを注文した。

尉火焚 「お盆は、”器をのせる盆”という字を書くけど、そういう意味じゃないよね?」突然、尉火焚が冗談のつもりで言った。

百舌 「いやっ、そういう意味もあるよ。」

尉火焚 「えっ、そうなの?」

百舌 「昔、仏教が入ってくる前から、先祖の霊を迎えて供養する習慣はあったんだよ。だから、お皿のお盆に供物をのせる行為と仏教用語の盂蘭盆の盆が混同されたという説があるそうだ。」「盂蘭盆はサンスクリット語の”ウランバナ”の音写語だよ。音写語と言えば般若心経も一緒だ。」

尉火焚 「へぇ、すごいね。俺の答えも半分当たってたのか!ははは。で、そのサンスクリット語の盂蘭盆はどういう意味?」

百舌 「倒懸(さかさにかかる・逆さにつるされた苦しみ)という意味らしいよ。あの世で苦しみにあうことなく、先祖の霊が再びこの世に戻ってこれるようにとの願いに使われるようになったんだろうね。それで供物を盆にのせてお供えする。」「しゃんしゃんと。」

尉火焚 「昔からあった慣習に仏教が融合したわけね。」

百舌 「そうだね。初春にも先祖を迎えていたんだ。それが正月の行事で、これは神事のままだ。」

目白 「おまちどうさま。」目白が手慣れた様子で持ってきた。さすがは、長年台所を司っていただけのことはある。

「うわー、ありがとうございます。」2人で感動している。”あれー?背筋もぴんと伸びてる。すごい。”と尉火焚は思った。

百舌 「キクさん、大丈夫?」

目白 「野川さんに教わりながらなんとか・・・。」みんなニコニコしている。平和だ。

尉火焚 「飛行機じゃなくて、鉄道使ったんだね。新幹線と岡山から何線だっけ?」

百舌 「伯備線だね。備中と伯耆の国を結ぶ線だ。いいね!」「川に沿って、ぐにゃぐにゃ曲がりくねって、山間を抜けていくんだ。」

尉火焚 「何?鉄道マニア?」

百舌 「いろいろとお城を見て歩くのが趣味でね。全国のお城を巡ってるから。飛行機だと空港が近くにあるよ。自衛隊の美保基地と共用の米子空港いや米子鬼太郎空港だ。」「でも鉄道でゆっくりと話をしながら往復したのなら、それはそれでよかったね。」
百舌がネギマを美味しそうに食べる。「トンカツお願い!」「はーい!」奥で野川マスターと目白の声がする。

尉火焚 「夏と飛行機と言えば、あの墜落事故を思い出すね。ひどかったね。」(1985年8月12日羽田発伊丹行き日本航空123便ボーイング747SR-46”ジャンボジェット、機体記号JA8119”が群馬県御巣鷹山の尾根に墜落して、乗客乗員524名中520名が死亡した史上最悪の墜落事故のことを言っている。)
「お盆前日で乗客が多かった。有名人も結構乗っていたようですね。」

百舌 「逆に、直前のスケジュール変更で助かった有名人も5~6人いたと思うよ。」

尉火焚 「一人ひとり、色んな人生をのせてたんだよね。」「俺は、歌手の坂本九さんを思い出すよ。NHK-FM放送で『歌謡スペシャル 』の収録があって、それも司会やってた人が休暇で急きょ代役やったそうなのよね。その後すぐに、翌日に大阪に用があってすぐに出発しないといけなかったらしい。」音楽に関する話だから熱心に語る尉火焚。「九ちゃんはね、この年の5月に”懐しきlove-song”というシングルを発売していて、そのB面に”心の瞳”という曲が入ってたんだけど、九ちゃんのお気に入りで”すごくいい曲だ。これは2人の曲だ”って奥さんに言ってたらしい。そのNHKのスタジオで羽田健太郎さんの生のピアノ伴奏で披露してるんだ。」

百舌 「へぇっ!そうなんだ!驚きだね。」

尉火焚 「これがまたいい曲なんだ。この年にすぐに合唱曲にした中学校の先生がいて、今では合唱曲に心の瞳あり!みたいになってるよ。」

目白 「へぇ!」目白さんもこの尉火焚の話を聞いていたようだ。「いろんな運命があるわね。」

尉火焚 「一人ひとりの人生は重く尊く、優劣はない。」尉火焚が深い言葉を発したので、みんなびっくりしている。尉火焚が話題を変える。なんか重苦しい雰囲気なったのを察知したのだ。「船旅もいいね。ゆっくりと船旅がしてみたいね。」

百舌 「昔はさぁ、横浜の港はメリケン波止場って言われてたよね。外国船が行き来する港の事。歌にもたくさんあるよ。”アメリカン”が言えなくて”メリケン”になったんだよね。」

尉火焚 「そうそう。♪♪メリケン波止場の灯が見える♪♪”私、淡谷のり子だわよ。」淡谷のり子の物まねをする尉火焚。”別れのブルース”は有名だが、尉火焚も百舌も生まれていない。

百舌 「明治時代からメリケン波止場から白い粉が輸入され出した。メリケンの粉だから”メリケン粉”だよね。」戦後は特に大量に輸入されて、最初、日本人はどうやって料理すればいいか分からなかったようだね。」

尉火焚 「劇的に食生活が変わった瞬間だ!小麦粉だよね。乳製品も輸入され始めたんでしょ?」野川マスターが口をはさんできた。「戦争中は敵国語だからと言って”バンコクハトバ(萬國波止場)(万国波止場)”と呼ばれてたよ。」

尉火焚 「マスター、最近お客さん多いね。きっと安心できる料理だからだよ。」

野川マスター 「ありがとう。ジョーちゃん。」厨房はカウンターから見えるし声も聞こえる。そんなに広いお店じゃないから。「キクさんも手伝ってくれるようになって助かってるよ。」尉火焚がふと百舌の方を見ると、さっき注文したトンカツにネギマの串を刺している。枝に昆虫を串刺しにして保存する野鳥のモズの習性を思い出した。物知りで地域の顔みたいな人が、こんなに変わったことをするとは・・・人は一長一短があるものだ。

尉火焚 「ビンちゃん、ところで夏祭りはうまくいったの?」

百舌 「あれから、イッちゃんの思い付きで、昔の踊りを知っているお年寄りを探すことになってね。それが見つかったんだよ。だから今年の盆踊りは、その踊りもやってみたよ。来年からもっと広がると思うよ。さすがイッちゃんだね。」

何やら厨房でこども食堂がどうのこうと話しているようだ。尉火焚は思い出していた。そう言えば、あの難しい名前の方が子ども食堂に持っていくとかなんとかという話だ。ようやく店内のお客も少なくなってきた。大体午後9時頃にはガラッとして、その後ぼつぼつ遅いお客が入る。入れ替えみたいだ。野川マスターが厨房から出てきた。

尉火焚 「マスター、さっき子ども食堂のこと話してたの?」

野川マスター 「そうだよ。くまげら(熊啄木鳥)さんが持って行ってる子ども食堂に、料理作って持って行ってやろうかと思ってね。くまげら(熊啄木鳥)さんに相談したら、運営してる公民館と話してみるけど、明日取り敢えず相談させてほしいと言うから、試しに持って行こうと思ってね。」「子ども食堂は確か最近のことだよ。おととし300か所くらいだったのが今年(2018年)は2200か所に増えてるらしい。(2016年5月で319か所2018年には2200か所を超えている。この数字は、2016年が朝日新聞社、2018年が任意団体こども食堂安心・安全向上委員会メンバーが調査したもの。)
「個人の自宅とか、公民館の一室を開放して週1回とか月1回とかやってるとこ、自治体が大きく関与しているとこなど様々だよ。」「任意団体のこども食堂安心・安全向上委員会という団体ができて、子どもが安心・安全に利用できるように、いろんな問題を考えて解決してくれるようになった。この団体には、全国200か所の子ども食堂が参加しているよ。行き帰りの交通事故対応とか、食中毒やアレルギーもあるだろ。色んな事が起きるでしょ。だから保険加入を勧めたりしてる。この200か所で年間で延べ11万人くらい利用しているそうだ。」

尉火焚 「さすが、元新聞記者さん。」

野川マスター 「東京都の文京区や品川区などでも自治体が乗り出しているよ。子どもがいる生活困窮世帯に食品を届けるとか、NPOと一緒にフードバンクなどから提供された食品を配るなどしている。親子で利用しているケースも多いよ。」

尉火焚 「外国に援助している場合じゃないよね。」

野川マスター 「いや、そうじゃなくて、我々自身のことをもっと真剣に考え直さないといけないということだよ。くさい問題に蓋をし続けた我々自身の問題としてね。ネットワークは広がっていってる。昔の日本みたいに助け合いの精神でやっていければいいなと思うよね。ネットワークが広がっているということは、まだ日本も可能性があるということだ。」「あれっ?いらっしゃーい。」野川マスターの声に尉火焚が振り返ると、レイちゃんではないか。しかも余計な人を連れてきている。余計ではない。彼氏だ。

百舌 「子供は作っちゃダメよ。」小声でささやいた。酔うということは楽しいが、危険も伴う。

関 礼 「えっ?なんか言った?」

百舌 「美男子の彼だねぇ。」ちょっと恥ずかしそうなレイちゃん。さっさとボックス席に座り彼といちゃいちゃだ。

尉火焚 「この暑いのに、カップル2組も店の中だよ。」

百舌 「ああいやだいやだ!」

目白 「マスター、そろそろ明日の子ども食堂の食事の支度しましょうか。」

野川マスター 「そうだね。そろそろ暖簾を入れようか。」暖簾を入れてきた野川マスターが明日の準備をしながら語った。「子ども食堂の問題もあるけど、労働市場から消えた労働者の問題がある。介護だよ。働き盛りの40代50代の人たちが親の介護で仕事を辞めて、長期間の介護によって再就職する意欲をなくして、独身で無職状態を続けている、そんな人が103万人いると言うんだ。これは、国の調査ではなくてNHKと研究者が共同で調査したらしい。この数字は、国の統計上のどこの数字にも反映されていない、統計上存在しない”ミッシングワーカー”と言うらしいよ。これも大変な問題だよね。統計上の失業者は70万人ちょっとかな?その数より多いよ。」

百舌 「40代50代の人たちは、国にとって貴重な労働力になる人たちだから、うぐっんん、何ともつらい話だ。」「親の年金で細々とという感じかな?でもそれだけじゃ、全然足りないでしょ。」

野川マスター 「まだあるよ。年間3万人の若者が失踪しているという問題。SNSで簡単にどこの誰かもわからない人と知り合ってそのまま家に帰らない若者が増えてる。犯罪に巻き込まれている人も多いらしい。家に自分の居場所がないとか、意見されたくないとか、自分のことを分かってもらえないとか、そんな理由だそうだ。悪い人間から逃げ回っている人もいる。それでも家に帰らない。」
「なんか暗い話ばかりになったね。」

尉火焚 「いやっ、こんないろんなことと向き合わないとね。いい加減にうやむやにして逃げてばかりじゃだめだよね。他人事で済ませてばかりだといけない。」

百舌 「おっ、ジョーちゃんも言うよねぇ。」と言いながら、レイちゃんの方を見る。尉火焚も。「レイちゃんは大丈夫だよね。」百舌の突然の問いかけに、聞こえていたらしく「大丈夫よ。」と笑って答えた。彼氏は見るからにまじめそうだ。大丈夫そうだと2人のおじさんは感じていた。

尉火焚 「目白さん、お疲れでしたね。もう終わりですか?」

目白 「疲れたけど、楽しかったわ。あなたたちの話は面白いわね。知らなかったこともたくさん聞けるわ。ふふふ。」「毎日は疲れるから週に3回になったわ。よろしくね。」

尉火焚・百舌 「こちらこそ。」

目白 「ジョーちゃん!山の日はね、新しく祝日になったでしょ?この間、海の日、山の日って言ってたでしょ?」「あなた休みの日が欲しいのね?仕事大変なのね?」

尉火焚 「あらま!分かりました?」「キクさんには恐れ入ります。」

百舌 「”海の日”の祝日があるよね。これは、もう23年前に祝日になったから、それ以来だ。なんで「海の日」の祝日があるのに「山の日」はないのか?それで山の日を作ろうという動きが出たみたいよ。でも単純すぎるね。もっと違う理由が秘密にあったのかもしれないね。政治の世界だ。でも、議員連盟で夏で夏山シーズンとお盆近くで休みが取れやすい日として8月12日が候補に挙がったらしいよ。でも、あの日航機123便墜落事が起きた日だから、群馬選出の当時衆議院議員の小渕優子が反対したそうだ。県知事も同様の意見を言ったそうで、議員連盟は当初の12日から11日に山の日を変更したそうだよ。」

キクさんの大変身と野川マスターとの大接近、いつ大事故に巻き込まれるかもしれない運命、身近な社会問題を再認識した居酒屋 野川の人々。明日は何が待ち受けているのやら。無事にこのお店にみんなたどり着けるのだろうか?それは神のみぞ知る。

続く(不定期)